2005年12月の思いつき


本年もお世話になりました

西暦2005年、平成17年、昭和でいうと80年、が終わります。

昭和80年ですか。
そう考えると、昭和一桁生まれの方々が如何にパワフルであるかに改めて気づかされます。

平成元年に生まれた人が、高校を卒業します。

時が経つのは早く、人生は長くなっています。

長い人生、がんばりすぎずに一生懸命。

当社も細く長く、時流を逃さず、皆様と共に前進していきたいと思います。
来年も相変わらずのご指導ご鞭撻を、どうぞよろしくお願い申し上げます。

よい新年をお迎えください。

(2005.12.27)



波乱

ディープインパクトが負けましたね。
スケートの村主選手の逆転優勝でのオリンピック代表決定も大どんでん返しで圧巻でした。

各地では、近年になく厳しい天候での越年となりそうです。

新年、「波乱」の予感がしています。

(2005.12.26)



3倍速の生活

今週末はクリスマスですね。
自分でそう言い聞かせないと、思い出せないぐらい実感がありません。
世の中、景気がよいわりには華やいでないと感じるのは私だけでしょうか?
なんだか、皆さん忙しそうです。
有休や早帰りが、しにくくなったとの声も聞こえてきます。

これまで止まっていた時計の針を、企業も人も市場も政治も3倍速の早送りをして何かを取り戻そうとしているかのようです。

モノを考えるには、緩やかな時の流れが必要です。
未来を考えるには、情報のインプットが必要です。

3倍速の生活ばかりをしていると、そのうち脳みそが枯渇します。わかってはいるのですが、如何ともしがたい現実が自分の前には山積です…

メリークリスマス

(2005.12.22)



世界はお休み・日本はお祭り

ニューヨークのバスも地下鉄も、クリスマス休暇入り、ではなくストライキ。
多くの人はすでに年末休暇に入っているからあまり大きな問題にはならないのか、人々の気分が既にクリスマスだからなのか、「2時間も歩いて通勤した」と言っている人の顔が妙に楽しげであるのが面白い。
停電でブラックアウトした時もそうでしたが、少々のことには動じないNYっ子の天真爛漫さは尊敬に値します。一方、起きてしまったことはしょうがない、と簡単に割り切ってしまうその性格が、借金を増やす素!

世界中が年末モードに入っている中、日本株だけアクセル一杯。いったい誰が買っているんだか??

(2005.12.21)



資産運用後進国

今月初めに公表された、金融庁の「ヘッジファンド調査の概要とヘッジファンドをめぐる論点」という調査レポートについての感想。
予想はしていたもののあまりに貧弱な内容に唖然。

前半の素人のようなアンケート分析に加え、そのページ数のほとんどをこれまでの他国の金融監督機関や国際機関の法制度や対応の紹介に費やしています。
それはそれで、役には立ったのですが、日本の金融庁がヘッジファンドという投資主体に対し、主体的な認識や対応をこれまで全くしてこなかったという事実を公言するかのようなレポートを出すことに、何の意味があったのだろうか?という疑問を持ちます。

外国籍投信という枠組みで国内に流入しているため、現状の投資顧問業法などの形式要件では管理出来ないということを、自ら認めた上で、それを諸外国との協力体制の充実を、という文言でまとめられてしまうと、結局自分では何もしないつもりなのかとかんぐりたくなります。

資産運用後進国という汚名は、監督官庁自ら払拭する努力が必要なのではないでしょうか。

(2005.12.20)



財政再建の数字合わせ

社会保険費用や地方交付税の削減などを積み上げたり、酒・タバコを増税したり、更には国有財産を売ってみたりと、細かく細かく積み上げて国債新規発行額30兆円以下を達成しました。と政府が胸を張ってみたところで、何が変わるのだろう?と思ってしまいます。

日本国政府は財政再建という目標に向かう努力を続けています、という対外アピールに、「数字」は大変有効です。
小泉さんの大好きな「公約」を守るという表現も、外国人投資家には有効です。

今の小泉政権が行っていることが、非常に表面的でかつデモンストレイティブな印象を受けるのは、多分に海外での評価を重視した結果であるのだと感じます。
国外の株式投資家の信認を得るために、資産を切り売りし、従業員をリストラした企業と、今の政府はよく似ています。

企業は株主のものであるという理屈が通った企業再生と、国民利益という理屈の通りにくい概念に依存する財政再建とを同一に扱うことの違和感が、日々増していきます。
国民生活の長期展望なくして、財政の数字合わせをすることに何の意味があるのか、全く理解できません。

(2005.12.19)



不動産金融といつか来た道

地方銀行の収益構造のランキング記事を見て(日経金融12月16日)、首都圏での不動産関連融資で収益力が上がっている地方銀行が多いことに、80年代後半からの不動産融資を思い出しました。

金融は緩和されていても、地元に融資案件のない地方金融機関の多くが、首都圏や都市部での不動産関連融資に邁進し、その後大量の不良債権を作ったことは、それほど昔のことではありません。
今は、個人向無担保ローンが加わっているので、以前のような不動産一極集中にはなっていないようですが、それでも融資というものが日本では不動産がらみでないと伸びないという金融機関の進歩のなさに、ため息がでます。

建築確認の偽造問題でノンリコースローンの健全性が問われ始めている中、不動産金融が再び地域金融機関の首を絞めることにならなければよいがと懸念しています。

(2005.12.16)



タバコ税

タバコ税の議論が再浮上しています。
外国株のファンドマネージャーと話していると、タバコ会社の収益は、"欧米先進国"での減収を"日本とアジア"の増収がカバーしていると言われます。日本が先進国ではないと指摘されているようで、あまり面白くありません。

ある調査によれば、タバコ一箱をイギリス並の1000円にすると、70%以上の人がタバコを止めると答えたそうです。
タバコの売上が7割減になっても、税金が700円上がれば、国の税収としてはトントン。喫煙による罹患率が下がれば医療費は減少。美しいシナリオではありませんか?
本数を減らして我慢をするのではなく、いっそうスッパリ止めたくなるぐらいの値上げをしたほうが、愛煙家の不幸感は和らぐのではないだろうか…等と言うのも大きなお世話ですね。
画面の向こうから読者の方の灰皿飛んできそう(恐)

(2005.12.15)



定量モデルの変調

国内株式の定量モデル運用の多くが、表現は悪いですが、この10月11月ボロボロになっています。

商品によっては、ITバブルや2001年の金融不安の時に匹敵するほど悪化しているようです。

過去5年続いた割安株相場の終わりを指摘する声もある一方で、現在の銘柄の選好のされ方の異常性を主張する声もあります。

大きな相場の転換期において、定量モデルは一時的に大きな損失を出す傾向があります。
逆に言えば、定量モデルの大損は、相場の変調の兆しなのかもしれません。

国内株式の警戒シグナルが、また一つ増えたようです。

(2005.12.14)



今年の1字・来年の1字

今年の1字は、「愛」だそうです。「愛」というより「あいちゃん」に代表される十代の若い力へのエールでしょうか。

昨年のコラムで、模様眺めの「眺」から今年は「跳」になれるかと、書きました。
株式市場を見る限り、大きく跳ねた、1年となったようです。

さて、来年。
今年の後半から起きている、様々な国内の経済事件。
偽装・欠陥・人為ミス。今のところ株価にはほとんど影響を与えていません。
災い転じて福となすか。相場の転機となるのか。

来年は「転」。よい「転」になることを期待します。

(2005.12.13)



名目GDP

これまで、日本銀行の金融政策の基本は、物価の安定にありました。この景気より物価に意識を集中させる日本銀行の行動様式が、日本の金融市場の変動を大きくしてしまっているのではないかと最近感じています。

日本の企業は価格吸収力が高く、多少の原材料価格の振れは、消費者物価に転嫁されることなく終わります。日本銀行があえて物価をコントロールしようとしなくとも、日本の消費者物価はもともと安定し易いといえるのかもしれません。むしろ日本において物価が変動するタイミングは、企業が吸収できないほどの物価変動が起きている状況であるといえるわけで、そこまで金融政策を放置するから、日本では金融バブルが起き易く、また、景気のピークを過ぎたタイミングでの政策変更に陥り易いといえるのかもしれません。

自民党のなかで、日本の政策目標を名目GDPとする検討会が発足するとの記事を目にしました。異常にボラティリティーの高い金融市場を普通の市場にするために、有意義な方向性なのではないかと感じます。

(2005.12.12)



お祭り騒ぎ

人間、時間とお金が余るとロクなことはない。

日本の金融市場も同様。

史上最大の出来高に浮かれてる取引所。
お荷物だった株式部門が収益源に転じて浮かれている銀行系証券。
事故銘柄に面白半分で手を出す個人投資家。

世の中全般、緊張感がなさすぎます。

(2005.12.09)



ヘッジファンドのコミュニティ

米国のヘッジファンド業界の人達と話していると、非常に狭いコミュニティの中で彼らが仕事をしていることに気づきます。ウォールストリート出身者のコミュニティ、更には特定の証券会社出身者だけのコミュニティ、大手ヘッジファンド出身者のコミュニティ、伝統的運用会社出身者のコミュニティなど、様々な色分けで人材や情報の囲い込みが行われているようです。はっきりとは口にしませんがおそらく出身校別のコミュニティもあるのでしょう。
非常に狭いコミュニティの中で、情報と人が回っているということは、よい意味でも悪い意味でも質が均一化していくということを意味します。
ヘッジファンド戦略の有効期限が短縮し、収益が上げにくくなっていることの背景には、残高が急増したこととは別に、それぞれのコミュニティが人材と情報を囲い込み過ぎた弊害もでてきているのではないかとも感じています。

(2005.12.08)



投資サービス法と販売者責任

投資サービス法の原案が公表されました。
委員の顔振れに運用業界の人間が少なすぎるとか、重箱の隅を突付いているようだとか、山の様な文句も聞こえてきますが、少なくとも販売者責任と投資適合性が明文化される第一歩となることは、業界の健全な発展のためにはよいことでしょう。

もちろんあらゆる条文と同様に、解釈の問題は今後色々でてくるわけで、「投資経験の少ない個人」とか「高リスク商品」とかいった言葉の定義次第ではザル法にも、逆に一滴の水滴も残らないバキューム法にもなりえます。

所詮、ルールというものは、使う側の意識次第です。一番大切なのはそのルールが作られた精神を理解することで、ルールにがんじがらめになることでもなく、抜け穴を掘ることでもありません。

とりあえず、個人や年金相手に売らんかなの商売をしている人たちにはよい薬になるかもしれません。

(2005.12.07)



奥田発言に思う

昨日の奥田発言を読んで、少し意外に感じました。
今の株式市場がバブル的雰囲気を含んでいるか否かということではなく、「日本全体が金目当ての国になりつつある」と憂えたとか、「『負け組』は苦しんでいることも忘れてはいけない」と語った、と表現されている部分についてです。

今の日本が、奥田氏が指摘するような状況になっているとするなら、その方向性を支持してきたのは経団連そのものではなかったかと、思ったからです。
経済合理性を重視し、自己責任原則を徹底させ、所得格差を拡大させることで社会を活性化させるのが、小泉政権であり奥田経団連の政策だったのではないでしょうか。

結果として大手と中小の業績格差は広がり、都市部と地方の景況感格差は広がり、終身雇用制の幻想から覚めた若者はニートに走っているのが現実です。

日本と言う国は本当に順張りで、一方方向に流れやすい国です。今更、やりすぎたと思っても、もう手遅れだと思うのです。

(2005.12.06)



新聞記事に煽られないで

最近の経済紙の記事には、正直首を傾げたくなるようなものが増えています。

週末の紙面には、この上げ相場で株を買い増せていない年金が、収益を取り損ねている、と書いてありました。
一般的な年金資産は、少なくとも全体資産の2割程度は国内株式を保有しているので、別にここで買い増さなくても相場上昇の恩恵は十分に受けられます。
持株を全売してしまい、あわてて買い増している銀行や、PERが割高だった日本株を大幅にアンダーウェイトとしていた外国人投資家とは違うのです。

また別の日の夕刊一面には、個人が買っている株価連動投信について、あきらかな事実誤認に基づく解説記事がでていました。

株価の上昇を受けて、新聞記者自身が舞い上がってしまっているような印象を受けます。長く低迷した日本経済しか知らない新聞記者自身が景気上昇局面に煽られているのかもしれません。

年金も個人も、こうしたムード優先記事には惑わされないようにしなければいけないのですが、それもむずかしいことです。

(2005.12.05)



目に見える円安・見えない円安

実質実効為替レートと言う考え方があります。対ドルだけでなく、主要貿易相手国の為替を、貿易金額で加重計算し、それにインフレ格差を加味して計算したものです。
この実質実効為替レートが、1985年のプラザ合意以来の円安になっているとのコメントを多く目にするようになりました。
実質実効為替ベースの円安は、日本の輸出企業にとって大きなメリットとなります。
1985年まで継続的に実効為替が円安に推移したことが、米国との貿易摩擦に火をつけ、プラザ合意の円高誘導を招くことになりました。
120円という水準だけでは気付かないリスクが、今のドル円相場に高まりつつあります。

(2005.12.02)



心に残るフレーズ

昨晩の毎日新聞夕刊のコラム「近事片々」に次のようなフレーズがありました。
『日々の仕事への対応で、見知らぬ人の何を奪ってしまっているのかに想像が及ばない。専門家なのに自分の仕事を知らない。業者は利を追うが専門家は社会に信頼を生む。そんな自覚だけがすっぽりと抜けている。』

建設業界だけでなく、金融業界でも、医療機関でも、皆同じ闇を抱えているのかもしれません。

業者ではなく、専門家でありたい。
業者ではなく、専門家であって欲しい。
と日々思いながら、仕事をしています。

(2005.12.01)


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