2010年05月の思いつき


地球の変動

今年は天災の多い年だと感じています。
地震だけでも、ハイチ・チリ・トルコ・中国と続き、アイスランドの火山が噴火しました。

本来の天災ではありませんが、日本史上最悪の口蹄疫や、メキシコ湾岸での史上最悪の原油流出事故など、まだ終息の目処が立たない災害もあります。

こうした地球の激動に比べれば、今の株式市場の変動など誤差の範囲に近く、時間の経過に身を任せておけばよいだけにも思います。

最近若干存在感が薄れてきたとはいえ、オバマ大統領にはまだまだ期待するものが沢山あります。
今回の原油流出事故がオバマ政権の致命症になるというような評論が現実味を帯びてくるとすると、地球の激動に金融市場が振り回されることになりかねません。

日本の場合は朝鮮半島有事もあります。

しばらくは突発的な有事に要注意なのかもしれません。

(2010.05.31)



内に篭もる学生さん?

街を歩いていて就職活動中の女子学生を見るたびに、どうしてここまで個性を潰すのかと不思議に思います。

白のワイシャツに黒のスーツ。髪は後ろに束ねて、黒の肩掛け鞄。

一昔前の銀行員の制服姿より個性がない。メイクのトーンも同じなので顔の印象も同じに見える…

これが企業の人事担当者の希望であるなら、今後の日本の人材の先行きが心配になりますが、おそらく企業側の意思とは無関係な、自主的なリスク回避の結果なのではないかと推測されます。

自分を選んで欲しいなら、他人との差別化が必要です。
他人と違うことを恐れていては、自分を主張することはできません。

内に篭もる日本人の精神が、こんなところにも反映されてしまっているのかもしれないと、少し心配になりました。

(2010.05.28)



口の軽い政府は嫌われる

昨晩のNY市場は引け間近に、中国政府がユーロ建資産を見直すかもしれない、との報道で急反落しました。

中国等の外貨準備については、サブプライムショックの最中に、ドルからユーロへの一部振り替えが加速し、ユーロ高の牽引車となったという経緯があります。

そしてユーロ資産の下落が激しくなると、ユーロ建を見直すというのなら、それは単に下手なだけでしょう。

そもそも、外貨準備資産というのは投資ファンドとは違うわけで、相場を張っているわけではありません。

日本のように南極の氷の下に封じ込められているような体制も極端ですが、評価損の発生に一々反応するような性質のものではないのです。

口の軽い政府は何処でも迷惑なものです。

(2010.05.27)



大人のファンド

ファンド規制が強化されると、ファンドの収益率が落ち、投資家の解約が殺到し、グローバルな金融市場は混乱する、というロジックは本当でしょうか?

米国一国、EU域内、英国一国、という単独での規制は、他の国に投資資金が流出するという意味で、その国の金融産業や税収などには影響があるかもしれませんが、投資家資金が世界中から消えてしまうわけではありません。

規制強化のほとんどが、ファンド運営者の収益の圧迫要因であっても、ファンドリターンの圧迫要因ではないからです。もちろんファンド運営者がコスト増加分をファンドの受益者に転嫁する可能性はありますが、どこまでのコストを顧客負担とするかは業界内の競争原理によって決まるもので、一概にファンドの収益のマイナス要因になるとは限りません。

儲けが減るならファンド会社など経営しない、という人も増えるでしょうが、そういう人や会社は始めから他人勘定のビジネスには向いていなかっただけのことです。

何かある度に悪者にされる存在ではなく、一般社会に認知される存在になるためにも、ファンドサイドももう少し大人になるべきなのではないかと思います。

(2010.05.26)



組織の怖さ

組織というのは、本当に生き物で、例えば合併やリストラなどの大きなイベントを抱える組織から不思議と信じられないようなミスがでます。

またTOPの視点が、顧客以外に向いていれば、顧客サービスが自然と低下し、TOPの視点が運用に向けば、運用が向上します。

一つ一つは特に有機的な繋がりがないように見えても、心臓部の意識というものは毛細血管を通して、組織の隅々にまでくまなく浸透するものだと、つくづく感じます。

運用機関を見ながら我が身を振り返り、組織というものの怖さを改めて再認識しています。

(2010.05.25)



風任せ

久々に「地政学的リスク」という、あまり耳にしたくない単語が出てくるようになりました。

韓国株式市場の指数だけを見ると4月の高値から9%弱しか下落していないように見えますが、ドルベースで換算すると約18%の下落となります。

いつも悪い材料にだけ引張られる日本の株式市場は、中国に引きずられ、欧州に引きずられ、今度は地政学リスクに引きずられるのでしょうか。

為替市場では、市場環境がよい時に、円のショートで資金調達をし、リスク資産を買っていた人達が、リスク資産を売って円を買戻している、とも言われています。

市場も、経済も、外交も、政治も、全てが「風任せ」の日本です。

(2010.05.24)



逆バブル

この数週間メディアから流れる金融市場のコメントは、読んでもさっぱり意味がわかりません。

同じ材料でも、買いの原因になったり売りの原因になったり日替わりで替わります。

このように材料が後講釈でしか出てこない時は市場が勝手に暴走している時か、急激な需給の歪みが発生しているか、のいずれかです。

これが上昇相場で発生すれば「バブル」となるわけで、バブルはその内潰れます。下落相場に「逆バブル」という言葉があるかどうかは別として、逆バブルもその内潰れます。

問題は、バブルは実体経済を毀損しないが、逆バブルは長引くと実体経済を毀損する、という点にあります。

目先、深押ししても構わないので、出来れば早めに決着して欲しいものです。

(2010.05.21)



仕組みの修正過程

何か新たな仕組や枠組みを作って実際に稼動させる場合、その仕組にどのような潜在的脆弱性があるか、システム上の欠落があるか、を事前に全て予想することはできません。

多くの場合、何か事が起きてから対策を打ち、その繰り返しによってより強固な基盤が出来てくるものです。

ですから投資の世界でも同様で、リートにしても証券化など新たな仕組みに依存した商品については、その仕組みに大きなイベントが発生した後で投資をしましょう、という言い方をしています。

今回の欧州通貨の騒動は、いわば「ユーロ通貨圏」という大きな仕組みの不備がクローズアップされたことによって起きているわけで、ここから先はこの不備を各国がどのように、どの程度のスピードで修正していくか、という過程に入ります。

ドイツがユーロ導入国の「秩序立った国家財政破綻」という選択肢の検討をEUに提案する、という観測記事をブルーンバーグが掲載しています。今の混乱がユーロという仕組みがより強固なものとなるための過渡期であることを期待したいと思っています。

(2010.05.20)



政府対市場

市場のメインテーマが、「ソブリンリスク」から「金融規制」に変化しつつあるような気がしています。

年初の米国でのボルカールールの提案以降燻ってきた、「政府 対 金融市場」という構図がここにきて炎上を始めました。

過去の危機による損失責任を問う動きが活発化している一方、新たな危機の火種になりそうな取引を事前に規制するという動きも活発化しています。

昨晩のドイツでの「国債等カラ売り規制」については、詳細も実効性も不明な点が多すぎ、今のところ「精神的なショック?」以上の影響は限定的と思われています。ただ「国債がダメなら通貨を売ればいいだけです…」などというファンドサイドのコメントを見るにつれ、市場側もあまり調子に乗ると、そろそろ痛い目を見そうで嫌な感じがします。

この炎上、誰が火消し役になるのでしょう?

(2010.05.19)



アジアは碇か?

欧州の混乱を受け、アジア地域がアンカーとなって市場の安定に貢献している、という説明を見聞きします。

昨年後半の上昇トレンドに乗り切れなかった日本株の下げ幅が小さいのは当たり前として、今年になってからの中国株の下落率は欧州と同等で、韓国インドは日本並。

頑張っているとすれば、インドネシアやベトナムなどのアジア新興国ですが、ここにきてタイの政情悪化が気になりはじめました。
こうしたアジア新興株式については、今の通貨市場とリンクしたマクロトレンドの株式戦略には、市場規模も小さく対象外であることが、今回の株安にあまり巻き込まれずに済んだ一因かもしれません。

但し、株式市場の混乱が継続し、リスク回避が続くようであれば、エマージング株式市場全般から資金流出が置き、地域を問わずエマージング全般が大きなダメージを受ける局面が必ずきます。

全体感が弱気か強気かは別として、妙なデカップリング論には組しない方が賢明です。

(2010.05.18)



株式市場の右往左往

ギリシャへの金融支援が決まった直後から、為替の投機市場でのユーロの売り持ちが急増しているそうです。

ドルとユーロとの力関係が「1:1.5」なのか「1:1」なのか「1:0.5」なのか誰もわからなくなっている中で、一旦は「1:1」を試しに行きたいと思うのは、為替トレーダーの「性」かもしれません。

とはいうものの、2008年7月に1.6台だったユーロがリーマンショック後の10月には1.2台になったことや、そもそもユーロ導入直後は0.8台だったことを考えると、今のユーロの動きは「崩壊」という枕言葉がつくほど、劇的な動きであるとは言い難いものがあります。

足の速い通貨市場に右往左往している株式市場ですが、もう少し冷静になってもよいのではないかと思っています。

(2010.05.17)



万博後?

1990年頃、ある商社の方が、日本は1980年代に入ってから経済の活力を失った、という話をしてくださいました。他の先進国に追い付いた後の産業構造の青写真を描かなければいけない時期だったのに金融バブルに浮かれて、誰も真剣に考えようとしない「失われた10年」だったと。


「上海万博後の中国の喪失感」というフレーズを聞いた時、ふとこの話を思い出しました。

同時の日本の倍のスピードで経済のキャッチアップを続ける中国には、次の青写真が見えているのでしょうか…

日本が余韻で10年食べていけたように、中国も当面は華やかな時代が続くのでしょうか…

賢い中国は隣国の歴史から何を学び、何を繰り返すのでしょう?

(2010.05.14)



判断の有無

想定外のイベントが発生した時、「判らないから何も判断しない」、というのと、「判らないから何も動かない」というのととは、全く意味が違います。

前者は判断を放棄し、後者は判断を下しています。

この違いの重要さが判るか否かで、顧客の信頼感というものは天と地ほど異なります。

運用機関しかり、コンサルタントしかり、です。

(2010.05.13)



怒れ!有権者…

政治家に必要な資質が、体力と自己顕示欲と知名度であるとするなら、タレントやスポーツ選手の候補が乱立するのもやむを得ないかもしれません。

今の選挙はある程度科学的に分析されています。つまり、この3つが票に繋がる、という分析をが政党側がしているからこそ、こうした候補者が乱立するわけです。

首相や政治をマスコミも我々も揶揄していますが、実は国民の方が政治に馬鹿にされているのかもしれない、と思ったりしています。

(2010.05.12)



あちこちの問題

昨晩札幌に来て、あまりの寒さに手袋を買おうかと思ってしまいました…

市場がギリシャでドタバタしている隣では、他にも心配事が散乱しています。

メキシコ湾での原油流出は全く回収が進んでいません。現在オバマ政権の最重要課題になりつつあります。
日本では宮崎の口蹄疫で七万頭を越える家畜が処分されています。

4月の日本の気象は10年に一度の多雨と日照不足と低温が同時にきた異常気象ということです。

いずれも、まだ実態経済に直接的な影響が見えていませんが、それぞれの現場の深刻度合いを考えると、マクロ経済的に無関係とは言い難い気もしてます。

変なインフレにならなければよいのですが…

(2010.05.11)



いまのところ怖くない

ここ数日の乱高下を、あまり怖いと感じていません。

もちろん価格が下がるのは、困ったものですが、金融危機の始まりの時のような、市場が崩壊するような恐怖感は今のところ沸いてきません。

金融危機の際は、病根がどこにあるのかよくわからないまま、各国政府の手当てが後手に回りました。それでもリーマンが崩壊し市場が本当に壊れた時は、「政府主導」の収拾が機能したわけです。

今回の病根は各国政府そのものにあります。
壊してはいけないものが何か、ということも明確です。
そして、金融危機の経験から、政府は市場を強制的に一時支配することを学びました。

今私が怖いのは、市場の崩壊ではなく、むしろ政府に喧嘩を売って儲けようとしているプレイヤー達の方です。
プレイヤーの崩壊が、市場の混乱に拍車をかけなけさえしなければ、この問題は当面収束に向かうと思っています。

(2010.05.10)



システム系?

昨晩のニューヨーク市場を見て、87年のブラックマンデーを思い出しました。瞬間風速で1000ポイントのマイナスを記録した、という値幅のことではなく、ある種のシステム売買が引き起こした大暴落、という意味でです。

ブラックマンデーが起きたのは、日米欧の金融等当局の不協和音に市場が反応した、というのが経済的な意味付けになっていますが、実際の売買行動としては、当時急激に拡大していた「ポートフォリオインシュアランス」によるシステム売買の影響が大きかったと言われています。市場が下がればヘッジ売りを増やし、市場が上がればヘッジを買戻す、というタイプのいわゆる「ヘッジ取引」が、市場の急落時に市場のキャパシティを超えた売り注文を出したことが、ブラックマンデーのテクニカルな原因と言われています。ご参考

今回のNY市場で何が起きたのか、今のところわかりませんが、このところ「ポートフォリオインシュアランス的」な商品や、CTAのようなシステム系の残高が異常に増加していたのは事実です。
きっかけはギリシャやもしかすると単なる誤発注かもしれませんが、こうしたシステム系の売買行動が外部材料に過剰に反応したことは否定できません。

外部材料そのものには、新奇性はないものの、これだけ混乱した市場がほぐれるには少し時間が掛かるかもしれません。

(2010.05.07)



連休中の長話し

私は、社会的生活における私というものも、この会社というものも、この会社の位置する金融市場というものも、全てこの社会において「必要とされている」から、存在していると思っています。

だから、社会的に存在し続けるためには、自身の社会的役割というものを常にどこかで意識し続けなければいけないと思っています。

そして社会的な意義のなくなった存在は、それが会社という目に見えるものであろうと、概念や思想のような目に見えないものであろうと、自ずと淘汰されていくと思っています。

このところ単なる私利私欲の権化のように見られる金融市場ですが、ここまで巨大化した背景は、やはりそれだけの社会的役割を少なくてもかつては担ってきたからであることは間違いありません。

私は過去20年以上に渡って金融市場というものの中に存在してきました。今でも金融市場というものを愛しています。だからこそ、金融市場がその社会的役割を放棄し、結果として社会から淘汰されていくと感じることに、非常な怒りと焦りを感じています。

2008年まで、その存在がなくなることなど微塵も予想されることがなかった「米国投資銀行」という存在が、わずか数ヶ月で消滅したのは、運が悪かったからでも、一時的にペナルティボックスに入っただけでもなく、「投資銀行」という業態がいつの間にか、自らの社会的公器としての自覚を失っていた結果に過ぎないのかもしれません。

同様に、今ギリシャやスペインやユーロを叩き売り、そこに存在する人々の生活の代償として大儲けをしている市場参加者達にもまた、社会的存在者としての自覚があるとは思えません。

金融市場というものが、現実の社会生活から遊離を続け、社会的利益ではなく自己利益のみの追求を続けるのであれば、金融市場はいつか必ず社会から淘汰され、その姿を大きく変えざるを得なくなるでしょう。

金融市場が健全な発展を今後とも継続するために必要なことは、市場参加者一人一人の社会的公器としての自覚です。
そして、この市場参加者には、ファンドに資金提供をしている年金などの最終投資家も含まれている、ということを決して忘れてはいけないと思っています。

(2010.05.06)


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